※この記事はWindows環境での操作を前提としています。Macをご利用の方には当てはまらない箇所があります。
最近よく聞く「DX(デジタルトランスフォーメーション)」という言葉。
AIや自動化、クラウド、RPA…。
聞くだけでなんだかすごそうに思えてきますが、、、
でも、ふと思いました。
「ファイル整理だって、立派なDXじゃない?」
そんなきっかけになったのは、職場で目にした“ある風景”でした。
ショートカットだらけのデスクトップを見て思ったこと
同僚のPC画面をのぞいた瞬間、軽く衝撃を受けました。
デスクトップに、ショートカットアイコンがびっしり。
アイコン模様の壁紙みたいなPC画面。
「アイコンいっぱいでわからなくならないの?」と聞いてみると、
「だいたいこの辺にあるからわかるよ」との返事。
そうかぁ、これはアイコンが配置されている
“位置、エリアで覚えてる”んだ・・・と。
つまり、視覚的に「ここに、この辺にある」と覚えていて、
構造的には全然整理されていない状態なんだなぁ、、、と。

なぜ人は視覚で覚えたがるのか?
人が視覚に頼るのは自然なことだと思います。
人は見かけが9割って言うし、、、(多分誰かが言っていたような気がする汗)
目に見えていると安心する、忘れないと感じる。
だからこそ、書類を机の上に積み上げる人も多い。
また「本棚に本が並んでいると手に取れる」感覚は
正に「視覚的記憶」によるものです。
つまりタイトルの色、背表紙の太さ、置いてある場所などで記憶している
実際に手を動かして“選び取る”という動きにも連動している
この一連の流れが、「記憶の再生」や「思考のトリガー」にもなって
「空間的理解」が深まるんだと思います。
だから、ショートカットを並べたくなる
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探すのが不安:ファイル名で検索すれば出てくるはずでも、場所で探したい
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習慣的な動作が大事:目で見てクリックするという“ルーチン”がある
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視界にない=存在しない感覚:見えてないと“忘れてる気がする”
つまり、人は「リアルに近い安心感」を視覚的に再現したいんだと思います。
記憶の限界
正直なところ、ショートカットがデスクトップにびっしり並んでいても、
それはそれで「自分なりの秩序(ルール)」がある。
でも、増えすぎると、もはや何がどこにあるか自分でもわからなくなって、
「探すために並べてるはずなのに、探せない」という矛盾に陥ります。
完全に整理整頓しすぎると、今度は「どこにしまったっけ?」問題が起きる。
私はこうしています:ショートカットをやめて“クイックアクセス派”へ
実は私自身、デスクトップにショートカットは置いていません。
その代わりに使っているのが、エクスプローラーの「クイックアクセス」です。
よく使うフォルダはここにピン留めしておけば、
どこにいてもすぐアクセスできるし、何より、
どのフォルダの中に何があるかという“階層構造”が、自然と頭に入るんです。
ショートカットに頼ると、「これどこにあるファイルだっけ?」となりがちですが、
クイックアクセスを使うようになってからは、
自分で整理した道筋をたどる習慣が身につきました。
DXって、こういう日々の小さな工夫から
「フォルダ構成を整える」
「アクセス経路を見直す」
「どこに何があるかを把握できる環境にする」
これらはすべて、業務効率を上げ、情報ロスを減らす工夫=DXの一歩
だと私は思っています。
「ちょっとした整理だけど、仕事の流れがスムーズになる」
それって、すでに立派なDXです。